バイト掛け持ちにタイミーさんと、馬車馬のように働いている今日この頃。
そんな生活を送っていると、以下のようなコメントがたまに届きます。
私の感覚的にはセミリタイアしてるなぁと感じているのですが、
傍から見れば、なんかやたらと働いてるただのフリーターにも見えるので違和感を抱かれるのでしょう。
私の中のセミリタイアとは、
「必要な資金を貯めた上で退職(リタイア)して、
労働の頻度や強度を落として、緩く生きていくライフスタイル」
だと考えています。
現在の場合、たしかに労働の頻度はさほど変わっていません。
しかし、中身(強度)は変わっています。
長距離通勤いたしません。
重い物は運びません。
数値責任ありません。
面倒くさい接客ありません。
コンビニ夜勤もネカフェバイトも勤務中に動画編集できるくらいには楽ですし、
タイミーさんも楽な短時間バイトしかやりません。
働いているというよりは、家で昼寝している時間をただ置き換えているといった感じで、
行って存在しているだけでお金もらえるみたいな感覚です笑
一度正社員を体感した身からすると、リタイア後の緩い労働をしているという感覚もありますね。
セミリタイアの本質は、生活費などを稼ぐための労働という足枷から解放されて、やりたいことをやれる状態にすることだと思います。
そのやりたいことが、今の私の場合は引っ越し資金を貯めることであり、そのために働きたくて働いています。
働きたい時に働きたいだけ働くというのは、正社員時代にはできなかったことですし、
必要だと思った資金は貯めた上で退職しているので、赤字を垂れ流し過ぎない限りは、働かなくてもOK。
この自由な感じもセミリタイアだなぁと思うわけです。
少なくとも明日が来るのが憂鬱だと思うことは無くなりましたし、
労働していながらも、労働に関する悩みからは解放された状態です。
以上より、今の生活は私の中のセミリタイアの定義には当てはまっていると思いますし、
体感的にも老後感に似たような感覚を抱いているので、
これはセミリタイアだと、私は思います。
セミリタイアをすることで、労働は中心にあるものではなく、オプションの一つに成り下がる。
だからこそ、その一行動に過ぎないものに価値を与えすぎるのはナンセンスだとすら感じます。
セミリタイアという、労働を基準にした概念でありながら、労働に固執する必要がないというのも矛盾しているようですが、
それくらい現在の労働の負担は少ないのです。
足枷が外れた自由で緩いこの生活は、セミリタイアと呼ぶに相応しいと思うのですが、
どうでしょうか?
twitter:@gintarou_k