セルフ・ハンディキャッピングという言葉をご存知だろうか?
その名の通り、自分自身にハンデを課すこと。
なぜハンデを課すのか?
もし失敗しても、そのハンデのせいにすることで自尊心を守れるから。
具体例で言うと、テスト前に大掃除を始めてしまうあの現象はセルフ・ハンディキャッピングに該当する。
掃除をしていて勉強できなかったから、テストの点が悪くてもしょうがない。
これで一応、自尊心は守られるのだ。
この自己防衛機能の困った点は、知覚している意志とは別に働いてしまうということだと思う。
私自身も、「なぜか」テスト前に大掃除を始めてしまうという感覚だった。
日常的にセルフ・ハンディキャッピングを働かせていないだろうか?
それによって損していないだろうか?
考えてみる価値はあるだろう。
私自身が免罪符的に使っている言葉は、「コミュ障」くらいだと思う。
コミュ障だから、多少コミュニケーションが上手くいかなくてもしょうがない。
これ、セルフ・ハンディキャッピングって感じがする。
人付き合いが苦手な性分だけど、コミュニケーションは取れた方が得である。
コミュ障という言葉に固執するのは控えよう。
twitterを覗いていると、社会不適合者・発達障害ADHD・底辺・弱者男性・HSPなどを自称している人達が散見される。
本当に深刻に悩んでいる人もいるだろうが、中にはそれらを称号として免罪符的に使っている人もいる気がする。
社会不適合者だろうが、ADHDだろうが、私なんかよりよほど良い会社に長く勤めていて、友人が一人でもいる人達ばかりなのになぁと。
彼氏いない歴=年齢、友達0人、もうすぐフリーター、親には借金はあれど遺産は無い。
そんな私から見ると、恵まれた人達に見えてしまうのだが、それでも免罪符に頼らないといけないのだろうか?
「私から見ると」という時点で相対的な幸福感だからダメか。
人それぞれ幸福の価値観は違うからな。
それでも、もう少し足元の幸せに目を向けてみてもいいんじゃないか?
とネガツイをしている人達を見ると思ってしまう、ポジティブ系クズのひばかりさんでした。
アンミカみたいなことを言うが、何も手にしていなくて物理的には貧乏でも、心は広く豊かでありたいよね。
そんなことを考えてみた出勤前です。
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