労働の位置づけ。
それをふらっと考える機会があった。
私にとってそれはライスワークであり、重要なものではない。
では、それ以外のものたちとはどういう関係があるのだろう?
どのような形で生活に組み込みのが理想的なのだろう?
などと緩く考えていると、
私の欲望には波があることに気づいた。
小波
- ブログ
- 動画撮影・編集(vlog・ラジオ)
- 睡眠
毎日来る波。
今日は、ブログは書けるけど動画編集はできない。
今日は、動画編集はできるけどラジオ録るのは無理。
今日は、めっちゃ寝たい(12時間とか)。
みたいな感じでやりたいことは毎日変わる。
この3つはほぼ年中、日常に組み込まれてる感じ。
中波
- 読書
- 旅行
- ゲーム
毎日は訪れないけど、数ヶ月ごとに来る波。
無性に活字を読みたくなることがあるし、
突然ゲームをインストールして、数日のあいだ廃人と化すこともある。
2〜4ヶ月に1回はどこか遠くへ行きたくもなる。
大波
- 引っ越し
もうこの土地でやることも無いなぁ、そろそろ次の土地へ引っ越したいなぁ。
という欲望が1〜2年ごとでやってくる。
私にとってはこれら全てが好きなことであり、趣味と呼べるものであり、私の生活を形作っている主要なパーツ達である。
その波がやってきた時に全力でその波に乗れる状態が、私にとっての理想的な生活なのだろう。
やりたい時にやりたいことができるということが大事なのだ。
そうなった時に特殊なのが、”労働”である。
やりたいことではないから、それ単体で意欲がわいてくるものではない。
労働したくなる時は、引っ越しや旅行のための資金が欲しいときと、
年間収支がマイナスになってしまう危機的な状態を回避したいとき。
その2つだけである。
つまり労働というのは、上記の趣味、いわばライフワークと横並びできる程ではなく、
1つの手段として存在しているに過ぎない。
私を働かせるには、旅行や引越しなど金がかかるイベントを用意するか、
年間収支をマイナスにして危機感を与えるしかないのである。
それでも、それのために本当に金が必要だと思えば、私は働ける。
昨冬はフォースワークをやった日もあるし(コンビニ夜勤→タイミーさん→ジム清掃→ネカフェ)、全体では133連勤もやった。
欲望の波に乗ると狂気を発動できる。
それは労働に限った話ではなく、趣味方面でも何記事もブログを書ける日もある、何本も動画を作れる日もある。
一日中本を読むことができる日もあるし、ゲーム廃人になったりもできる。
結局、やりたいときにやりたいことをやるのが一番生産的であり、効率が良い。
だから、やるべきことでもやる気がなければやらない。
その波はそのうち来るかもしれないし、来ないかもしれないけど、
来なかったら来なかったで、それはやる必要のなかったことなのだ。
これからも私は、欲望に忠実に。
いつでも波乗りできる理想的な暮らしを送っていきたい。
twitter:@gintarou_k







