最近は、小さな家の内見動画を見るのにはまっているのですが。
その関連で面白い動画を見ました。
小屋ぐらしをしている方が、小屋暮らしを始めるまでの経緯をひたすら語っている動画です。
小屋暮らしをされている方は数人知っていますが、その方のことはその動画で初めて知りました。
よって、どういった方なのかは今もよく知りません。
その上で、お話を聞いてなんとなく考えたことがあったので、それを文字に起こしてみようかなと思います。
ほぼ自分語りです。
その方は、仕事をうつで辞められて、それから小屋を建てられました。
うつになった理由は明確には分からないと言っておられますが、一応理由としては「何者かにならなければいけないという焦りがあったこと」だそうです。
学生時代から就職まで特に苦労もなくエスカレーター式に進んで来て、今後もこのまま普通に平穏に人生が進んでいくのが嫌だったそう。
twitterにも、なにおれさんという方がいらっしゃってフォロワー数からたくさんの方に支持されてらっしゃることが分かりますが。
何者かにならなければと思っている人ってけっこう多いんですかね?
私もそれを理解できないわけではないです。
第一志望の大学に受かって、実家から通って、そこそこの会社に無事受かって、というルートに進んでいれば、確かにそういった思いを引きずっていたかもしれないなぁと思います。
しかし現実では、滑り止めの地方大学へ行き、一人暮らしをすることになりました。
この大学時代が、「何者かにならなければ」という思いを私の中から消し去ったように感じます。
やりたいことができていない・やりたいことが分からないにも関わらず時間が過ぎていくことへの焦り。現状から抜け出せれば内容なんて二の次だ!って人もいるかもしれません。
ひとまず、何者かにならなければというのは、満足できない現状が続くことへの焦りである場合が多いでしょう。
では、なぜ満足できないのかって、中途半端に可能性を残しているからだと思います。
順調に平穏に過ごすあまり、やりたいことをしてこなかった・考えてこなかった・分からなかった・見ないようにしていた、などの理由から不完全燃焼のまま時間の取れない社会人フェーズに突入してしまった。
過去に満足できなければ、未来に未練を残すことになります。
しかし、浅くであってもやりたいことをやれば満足することもあると思うんですよね。
少しでも囓ってみれば、すごいと思っていたことが意外とそうでもないものだと分かったり。
青く見えていた隣の芝は意外とすぐ枯れたりするのです。
やりたいことをひとまずやった満足感と、現実と理想の違いによる冷め。そういった経験を積み重ねることによって色々な理想とか可能性は数を減らしていけると思います。
あとはその中で残った本当にやりたいことが見つかれば、「何者かになりたい」ではなく「その者になりたい」に変わるはずです。
私が何者かになりたいと思っていないのは、大学時代にやりたいことを浅く広くかじれたことで可能性が潰せたからだと思います。
大学生のうちに、「半自給自足を目指した隠居」という軸を見つけることができました。
小中高大就職と順調に進む道順。その流れで満足できる人が大半だと思います。
しかし順調すぎて悩んでしまう人もいるんだなぁと、新たな思想を知りました。
何者かになりたいと悩む人は意外と多いのかもしれません。
twitter:@gintarou_k