私は普段小説を読んだりはしないのだけど、たまに衝動的に文字を読みたくなる時がある。
特に秋にそれが起こりやすいのだけど、
この前、図書館にふらっと行って何冊か借りてきた。
もともと、よしもとばななさんのキッチンとハゴロモが好きで、他の本も読んでみたかったから本書を手に取った。
読んでいくうちに、なんか読んだことあるぞと思ったのだけど、
1度読んだことがあるということは、記憶から抜け落ちていたらしい。
話自体はいつもの感じというか。
何かしらの事情で傷ついた若い女性が、他者との出会いを通じてメンタルを回復させていくという展開。
身内がけっこう亡くなったり、安直に淡々と性行為をし出すのも、この方の作風の1つだろう。
ただその無機質で現実的な絵の中に、ささやかな幸せを見出す作者の哲学のようなものが散りばめられていて、
地に足ついた幸福感を示してくれる感じが魅力的なのだと思う。
今回読んで思ったのは、なんか気持ち悪いなぁということ。
よしもとばななさんの本は好きだったはずなのだけど、ちょっと性的意欲が高すぎない?という気がした。
前はなんとも思わなかったのだけど、
最近マチアプでヤリモクの方からメッセージが来ることが多くてちょっと疲れてるのかもしれない。
印象に残った場面を切り取ると、
児童が2人で窓の灯りについて話す場面。
“「明かりがあったかいんじゃないじゃないかぁ」
「中にいる人の、そのまた中にある明るさが、外に映っているから明るくてあったかく感じるんじゃないかと思うんだ。だって、電気がついていても寂しいことって、たくさんあるもの」
「人の気配が、照らしてるんだよ。きっと。だからうらやましく思ったり、帰りたいと思うんじゃないかなあ」”
あまりにも感受性が高く、児童にしては言語化能力が高過ぎて面白いのだけど。
私は窓の明かりを見て、そこに幸せがあるかどうかなんて考えたことなかったし、
人間観察をしてる人ってそういう視点で街を見てるんだなぁと思って面白い。
あとは。
色々あった主人公が少しのあいだ居候をして、そこにいる男とささやかな時間を過ごす中でメンタルを回復させていくという話。
最終的には、主人公は実家に帰って、彼も別の土地に行って、もうお互い2度と会わないんだろうなという形で別れるわけですが。
それでもそこでの日々というのは、
“「きっとそれは私の心の中の宝箱のようなものにおさめられ、どういう設定で見たのか、どんな気持ちだったのかすっかり忘れ去られても、私が死ぬときに幸福の象徴としてきっときらきらと私を迎えに来る輝かしい光景のひとつになるだろう」”
キラキラ青春フォーエバーと構造は同じようなもんなのかもしれないけど。
私も幸福ってのは、ずっと続くものだとか、ゴールの先に得られるものだとかは思っていなくて、
ささやかな日常の中でふらっとやってくる瞬間のことだと思う。
そういったほのかな過去の栄光っぽいものを丁寧に集めつつ、晩年を迎えることができればそれで良い。
私の中身だって変わるし、相手の気持ちも変わる。
それは自然なことであって、ずっと同じ状態が続くことの方が不自然。
その時々で、いま感受できる幸福の象徴を拾っていけば、それで良いと思います。
twitter:@gintarou_k








