「周りになじめなかったので高校辞めました」
さっき、ネット上でちらっと見かけた文章。
私も高校時代は絶望的に周りになじめなかった。
というか、小4からボッチ属性をまとっていたので、高校だけが馴染めなかったわけではない。
ご飯も一人、登下校も一人。それが普通だった。
それ故、スクールカーストに属していたのかすらよく分からない。
そこに存在はしていたけれど、空気のような存在だったと思うし、
私から見ても、彼らは相容れない存在だと思っていた。
彼は馴染めなかったから辞めたらしいが、なぜ私は馴染めなかったのに辞めなかったのだろう。
それは孤独耐性の強さの違いだと思う。
私の孤独耐性はたぶんめちゃくちゃ強い。
ボッチだろうが不登校なんて考えたことなかったし、なんなら部活までやっていた。
では、この孤独耐性はどうやったら身につくのだろう?
先天的な要因が大きい気がする。
たまたまボッチになることが続いて孤独耐性が高まるのではなくて、ボッチ耐性がもともと強くて不必要な人付き合いを避けられるからボッチになる、
という方がしっくりくる。
もっと言えば、耐性が強かったというより、学校の外に世界を持っていたというのが大きい。
学校に行くのは楽しみではなかったが、登下校は面白かった。
学校と通学路に生えていた樹木の名前と配置はなんとなく思い出せる。
他人は木を見ないし、鳥や虫にも気づかない。
彼らとは別の世界を知っていて、そこに価値を与えていたから、
学校の中の世界が孤独でつまらなくても、そこそこ楽しく過ごせたのだと思う。
「孤独」というのは、小屋ぐらしや一部のFIRE民など隠遁系の人達にはしばしば問題となる。
私は隠遁はしないので、関係ないっちゃ無いのだが、
このまま孤独を気にせず生きていけるのだろうか?と思うことはある。
孤独で可哀想なおじさんはたくさん見てきた。
彼らのようにはなりたくないが、まぁ大丈夫だろう。
ただ、孤独解消とは別の面で、他人との会話は必要だと思う。
他人と会話しない日が続くと、脳機能の退化がエグい。
それは体感的にも分かるし、そこらの自己啓発本にも「孤独は健康に悪い」なんて書かれていたりする。
今年の生活テーマは「健康的な生活の確立と定着」だったので、年初はTel友を開拓したりした。
面倒くさくなって3日坊主で終わったが、どうにかして会話をできる人間関係は保ったほうが良い。
3年後には関東へ行く。
その目的は後に続く人間関係の構築が1つの目的。
なぜ関東?
田舎で出会い系(ゲイver.)開いても驚異的に過疎ってるからです。
というか、Tel友募集なら出会い系じゃなくてもよくないですか?
その通り。だけどなんかやる気にならないのは、今はこのままで問題ないと思っているからですね。
なのになぜ人間関係の開拓を?
将来、かわいそうな孤独おじさんになった場合に説得をするためです。
やることはやった上での孤独です。受け入れなさいと。
でも孤独おじさんになる可能性は低いですよね?
低いけど、後悔する可能性は潰しておいたほうが良いです。良い人生とは後悔のない人生。
眠くなってきたので寝ますか、ボッチの私へ、人間関係は構築しといた方が良いです。
オキシトシン的幸福は植物の栽培でまかなえているようなので、寂しさは大丈夫でしょうが。
脳機能の低下は防げないので。
老害になる前に、継続的に話せる人を作っておきなさい。
おやすみ。
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