SNSは救いなのかもしれない。

夜勤なう。
なんかここ数日間は非常に涼しくて、
バイトの制服を長袖に衣替えして、毎年11月くらいまで着ている緑のパーカーも着用し始めました。
清掃バイトをしていると、マンションの廊下に落ちているセミも見かけますが、
聞こえる声はだいぶ小さくなってきたなぁと思います。
反対に夜はバッタ類の声が大きくなっていて、
すっかり秋の空気感です。
昨夜に引き続きガソスタバイトなうなわけですが、
昨夜はワンオペだったのでブログを書く暇がありませんでした。
普段は2人勤務なのですが、欠員が出てもワンオペのままなので、純粋に2人分働くことになります。
バイト中にブログを書ける環境の方がおかしいのかもしれませんけど、
最低週2勤務の求人だったはずなので、あまり休まないで欲しいです。
まぁ私が休むこともあるのでお互い様ですけどね。
話は変わりますが、
最近見たYoutubeの動画で印象に残ったものがありました。
歴史学者の渡邉義浩さんと作家の中村うさぎさんの対談動画なのですが、
その中で言語化することが大事という話が出てきます。
その時の考えや思いを言語化できなかったから、何かを発散できずに失敗を重ねてきたんだと。
言語化が苦手なら、絵を描いたり曲を作ったり、なんでも良いので表現をして、発散や自己理解をするのが良いとのこと。
そして、SNSもある意味では表現の1つであり、それは救いとも言えるという話になります。
くだらぬ日記のようなつぶやきであれ、それを誰かが見てくれているかもしれしれないというだけで救いになるのではないかと。
これって、昔は神に報告したり天が見てくれたりといったものが形を変えただけであり、
SNSのつぶやきは祈りのようなものかもしれないと。
中国では歴史的に不遇な人生を送った人物を讃えて記す、書くことにより、その彼に光をあてて、いわば”救う”ということをした人がいたらしいですが。
なんでもない日記でも投稿して他人に見てもらうことにより、その人生的なものを肯定しようとしているのかもしれない。
そう考えると、SNSってのも神に置き換わった不特定多数の誰かに己を観測してもらうツールであるという、宗教チックな側面も見えるわけですね。
他にもう1つ印象に残った話があるのですが。
うさぎさんのご家庭がキリスト教だったらしく、曰くそれで抑圧されて育ったとのこと。
キリスト教は一神教であり、全てのものを二分してしまう。
善と悪、光と闇、生物と無生物。
このゆとりの無い考えがなかなかドギツいなと言うわけです。
マルとバツの間にはサンカクがあり、それでも良いのではないかと。
さらに現代の悩みを抱えている人達は、この一神教的な成功と失敗しか無い考えを持っているから苦しむのではないかと。
この話は先の他人の表現に対して、多様な考えを受け入れることが大事だよねみたいな話から流れてきたのだけど、
昨今のtwitter界では、善と悪、成功と失敗を二元論的に解釈する方々が散見されるわけで、
あまり偏った解釈をすることなく、様々な考えを広く受け入れる土壌を持ち合わせたいなと反面教師的に思うわけです。
あとは、全ての結果や私の生き方なんかも、
成功と失敗の二言ではなく、そのあいだのサンカクを受け入れて生きていきたいなぁなどと思いますね。
正直この動画も2回ほどしか見ていないので、まだ理解できていない部分もありますが、
他人様の対談動画なんかからは色々と気づくこともあったりして。
若い頃はこういう類のものには何の興味も無かったのに、
私も歳をとったのだなぁと思います。
老いたくない(発狂)。
twitter:@gintarou_k






