マッチングアプリで知り合った医者と話したことがある。
フロントにコンシェルジュがいて、エレベーターを乗り換えないと部屋までたどり着けないような、家賃数十万のタワマンに住んでいた。
掃除や洗濯は、家政婦さん?みたいな人がたまに来るので、やらなくていいらしい。
買いたいものはなんでも買える生活のようだ。
しかし、彼ははっきり幸せという感じではないと言っていた。
快楽は青天井であり、満たされることはないとのこと。
マッチングアプリのプロフィール欄には、「寂しい」とも書かれていた。
毎日美味しいものを食べられれば、美味しいものも美味しいと感じにくくなるし、
なんでも買えれば、何買っても感動しなくなる。
感動の感度は青天井であり、度が過ぎると不感に陥る。
金はあればあるほど幸せというわけではないのだ。
今回、1ヶ月間の車中泊旅を経て、食に対する感動が鈍ったと感じる。
美味しいものばかり食べ続けていると、美味しいものへのありがたみが薄れてきた。
医者の彼は、まさにこんな感じだったのだろうと、今は思う。
でも、金持ちが全員虚無虚無しているわけではないので、
ある程度の経済水準を確保できれば、
それ以降は、経済水準以外が幸福な生活の主な条件になる。
プライスレスな価値である。
それは、他人との関わりや仕事や趣味などから得られる充実感・満足感といったところだろう。
毎回ハーゲンダッツを買う暮らしよりも。
いつもは爽だけど、月に1回くらいはハーゲンダッツにするくらいの生活の方が、
ハーゲンダッツを美味しく食べられるはずだ。
欲しいものはあるけど、今はまだ手が届かない、
でも、ちょっと頑張れば手が届く。
もしくは、
手は届くけどちょっと身を削らないといけないなぁ。
このくらいの水準が、多くの人にとっては一番幸せなのかもしれない。
twitter:@gintarou_k