日々の雑感

私がコミュ障ボッチになったきっかけ

私がボッチになったのは小4くらいだったと思う。

休み時間は学校の中を徘徊してた。

低学年教室前の廊下を歩いていて、担当教員に怒られた記憶がある。

年上のお兄さんがただ歩いてるだけでも低学年の子は怖がるから来てはいけません!

泣きっ面に蜂である。

 

ボッチになったのは中学年頃だが、その前はわりと楽しくやってた気がする。

特に幼稚園の頃は楽しかった。

他人を操れたからだ。

こう思われたいならこういうことを言ったりしたりすれば良い、といった考えの元、極めて自己中心的に生きていた。

実際に、単純な児童達に対しては無双していた気がする。

たぶん頭の発育が早かったのだろう。

 

しかし、歳をとる毎にみんな賢くなってきて、

思想や感情は複雑になり、

次第に他人の心を操ることはできなくなった。

他人の感情が分からなくなった。

その境がちょうど小学生中学年くらいだったということだ。

以降は、他人との接し方が分からなくなり、

中学生になってからは他人との付き合いをあきらめ、

大学に入ってからは寂しいという感情も失い、

現在に至る。

 

正直、コミュ障であることは否めないが、その程度はめちゃくちゃ酷いわけでは無いと思う。

クレームを産出しながらも、2年半接客業の正社員を成し遂げた。

小4からボッチやってた人間の所業としては称えられるべきである。

というか実際には、能力としては低級なコミュ障だとは思うが(IQがめっちゃ低い疑惑もあるが)、他人と話すこと自体に苦手意識や嫌悪感は無い。

たいていの会話が興味の対象外なだけで、会話自体は嫌いではない。

むしろ、感情を動かすための有効な手段だから、会話は積極的に取り入れていきたいとも思う。

でも他人に対する印象は、好き1%・苦手10%・どうでもいい89%くらいだから、面倒くさいが勝ってしまうのだけど。

 

ボッチであることによって会話の機会が失われて健康寿命が縮まりそうな件については残念に思うが、

正直それ以外にデメリットはそんなに無い。

寂しいという感情はどこかへ消えてしまったし、恋人の有無や友達の数をステータスにして示したくなるような他人の目もないし、

特に不便を感じない。

おそらくこのまま最後までボッチ街道をひた走るのだろう。

もちろん、面倒くさく感じない好きな人が現れたら素敵なことだが。

 

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