私は今、情緒不安定である。
「苦役列車」という小説を読んだからだ。
「主人公は中卒の青年。
小学生の頃に父親が猥褻事件で捕まったことを契機に人生は狂い出し、
家賃1万円台のアパートに暮らしながら、日雇い労働で食い繋いでいる。
ホームレス寸前のガチ底辺労働者である。
そんな彼に、ある日、同い歳の大学生の友人ができる。
友達も恋人もいない主人公は、唯一の友達ができたことに喜びを覚えるが、
未来ある彼女持ち大学生の彼との差に卑屈になり、
最終的にはほぼ縁を切られるような別れ方をする。
その後は年賀状のやり取りで、彼は彼女と入籍し、郵便局で働き始めたことを知るが、
自身は派遣先の倉庫を出禁になった後、また別の倉庫で日雇い労働のその日暮らしを続けるのだった。」
重い。重いよ。
キラキラ幸せルートに登っていく友達と、変わらず日雇いその日暮らしを続ける主人公の対比が鮮やか過ぎる。
それを見た時に、私は私自身を主人公の側に重ねてしまった。
だって今、無職だし。何もしなければ、何も変わらないまま生きていくことになる。
「そのままだと、一生そのままだぞ」by苦役列車
働けってことだね。
もっと言えば、上らしきものを目指すなら、スキル身につけたり、給料高い仕事につけるように努力しろってことだね。
無職に対する殺傷能力が高い。
おそらく経験がないことにより、応募した派遣の仕事落とされまくってる今の私には大ダメージだよ。
でもね。変わる必要があるのかどうか、冷静に考えてみようじゃないか。
私にとっての「このまま」というのは、主人公の日雇いその日暮らしの「このまま」とは中身が違う。
貯金は700万。歯列矯正と奨学金の残りを返済しても500万は残る。
それは最低限やりたい2つのことをするための娯楽資金であり、生活資金ではないが、
ひとまずお金を稼ぐという目的の苦役労働を終える条件は整っているのでセミリタイアという形をとったのだ。
その上で、なぜ働くのか?
1つは生活資金のため。
500万は娯楽資金だから、時期が来るまで手を付けられない。
ただ、時期が来たらその資金は全て消えて一文無しになるから、別で多少の生活費は残す必要がある。
2つ目は、最低限やりたい2つのことの質を上げるため。
正直、500万は最低水準でそれを実行できる金額であり、質を問うならもう少し必要なところである。
3つ目は、金があるところに金は集まるということ。
配当などは分かりやすいが、金があればあるほど資産増加スピードが加速するのは明白である。
将来少しでも楽をしてクオリティオブライフを上げるために、まとまった貯金はあったほうが良い。
では、働く目的がそれだとして、どれだけ働いた方が良いんだい?
正直、よく分からない。
貯金の目的をこれだけはっきりさせているのに、どれだけのお金が欲しいのかが分からない。
最低限必要な金は蓄えている、その上で金はあればあるだけあったほうがいい。
じゃあ、毎月1万でも貯金できれば、それで良いのでは?
貯金に手を付けずに黒字であればそれで良いのでは?
目標金額が無いのだから、確かにそれで良いのかもしれない。
でもやっぱり、金はあるだけあったほうが良いというところに落ち着くのでまぁまぁ働きたい欲がうまれるのだろうなぁ。
働きたいけどはたらきたくないのである。
その上で、一生このままでいいのかい?という問いに対しては、
「まぁ金はあるだけあった方がいいけど、どうしても必要な訳では無いし。労働に価値を与えることもできなさそうなので、このままでも良いよ」
という返答になりました。
そう、本来ならこのままで良いはずで、
「苦役列車」が何を言って来ようが私には関係ない話だったのに、なんか情緒不安定になってしまったのは、
中途半端に他者との比較が入り込んだからだろう。
Xを見ていても、「アッパーマス層です!」「1億円貯まりました!」のような上流階級ポストが目に入る。
tiktokなどは更に残酷で、道行く人に年収や家賃を聞いて回るチャンネルの動画が流れてきたりする。
周りのみんな金持ちなんだなぁと錯覚を覚えて、何か劣等感を感じて卑屈な気持ちになってしまうようなことも、正直ある。
冷静に整理してみれば、私は彼らのように働く必要もなく、貯金を貯めまくる必要はないのに、比較してしまうのだ。
私は私の水準で生きて。
私の幸せを享受していけばよい。
それをふとした時に思い出せるようでありたい。
いずれにせよ、凪のようなメンタルをもつ私の情緒を揺さぶってきた本書は、さすが芥川賞受賞作品という感じである。
私は苦役列車には乗っていない。
もし乗っているように感じるなら、それは他者との比較により生まれた幻想だということに気づいておくれ。
twitter:@gintarou_k