ふと幸せについて考えようと思います。
度々文章にはしていますが、私は幸せを定義しています。
幸せとは、「脳内に幸福を感じさせるホルモンが分泌されている状態」のこと。
樺沢紫苑さんの著書に書かれていた内容です。
そのホルモンとは、大きく分けるとドーパミン・セロトニン・オキシトシンの3つ。
ざっくり説明すると、心身の健康に関するのがセロトニン・他人との関わりから得られる快楽はオキシトシン・青天井な一時的快楽がドーパミン。
なぜいきなり幸せなんてことを考え始めたのかというと、ある動画を見たからです。
IT企業のCEOをしていたおじさんが、突然出家してインドで僧侶になったらしく、その動機などをお話している動画でした。
そこではっきりと、ドーパミンとオキシトシンという言葉を使われて。
「出家したのは、ドーパミン的幸福からオキシトシン的幸福に重きを置くためだ」みたいなことを言っていました。
社員時代は数値目標の達成から得られるドーパミン的幸福に浸っていた。
しかし、それでは幸せになれない。不幸な人も産んでしまう。
だから、より他者貢献感を得られてオキシトシン的幸福を得られる僧侶になった。
だいたいそんな話でした。
数値目標から得られるのは満足し切ることの無い青天井の一時的快楽であり。むしろ達成できなかった際の劣等感や、達成しなければならないという責任感や焦燥感が人を不幸にしているということですね。
この話を私にも当てはめてみると。
ひとまず、セロトニン的幸福は最強に満たされています。
空が青いだけで、生きてるだけで、ある程度は幸せを感じられます。
たぶんセミリタイヤ界隈の低支出勢はこの幸福を感じやすい人達なのかなぁと思います。
ドーパミン的快楽は美味しいもん食えば得られるので、誰でも得られます。
どんどん青天井に閾値が上がっていくのがドーパミン的幸福の特徴ですが、毎日外食する勢ではないので、低く閾値を設定できていて良い感じです。
まれな外食でドーパミン大量放出可能です。
そして私に一番足りていないのがオキシトシン的幸福。
友達0、彼氏いない歴年齢というボッチ街道を歩んできた私には、これを得るのが一番難しい。
小屋ぐらししていた人が孤独に耐えきれず都会に出てきたパターンを知っていますが。
ヒトは社交性のある動物なので、やっぱり一人では生きられないのです。
一人では幸せになれないのです。
と言いながらも、私の場合ここ6年くらい寂しいという感情が死んでいるのはどういうことでしょう?
これがよく分からなくて、人付き合いは基本めんどくさいというか、一人がやっぱり好きなのです。
じゃあどこでオキシトシン的幸福を補ってるんですか?という話ですが。
1つは職場。
接客業で毎日人と関わりまくっているので、そこで得られているものは確実にあります。
もう働く必要がないくらい貯金がある人になぜ働くのか?と聞いたら、社会と繋がっておくためとか言っていましたが。より細かく言えば、オキシトシン的幸福補充のためだと思います。
2つ目は植物の栽培から。
植物を育てるとオキシトシン出るらしいです。
私の場合は9年間樹木を育てているので、そこに支えられている部分はかなりありそう。
寂しい人が観葉植物育て始めるとか、ペット飼い始めるとかあるあるですよね。
犬飼い始めて結婚願望消失した人も知っています。
まとめ
結局何が言いたいのかよく分からない文章ですが。
人付き合い無くても良いです。一人で大丈夫です。
みたいな人達も、何かしら別のところ(ペット飼育・植物栽培など)でオキシトシン的幸福を補充してるんだろうなと思いました。
やっぱりヒトは一人では幸せになれないのです。
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