twitterやYouTubeでたまに見かける弱者男性という言葉。
比較的最近現れた新語?なのかなと思いますが、
意味的には、ある程度歳を取っているのに、彼女なし金なし大した職なしという、
いわゆる社会的なステータスが低い男性のことを指しているようです。
“いや、私のことやないか”とは思うのだけど、
正直、自認的には自分自身が弱者男性だとは感じない。
それはなせだろう?と考えてみると、
私は勝負のある世界で生きていないからだと思う。
人は4タイプに分けられるという話がありまして、

これ、人を分類して考えるのに便利なのですが。
私は右下の法則型に属しているようです。
現実的で自分の中の法律に従って自己満足的に生きてる感じ。
それに対して弱者男性を名乗る人は、左上の注目型に属してるんじゃないかなと思いました。
外交的で抽象的。他人との触れ合いに価値を感じつつ漠然とした理想を求めて生きている感じ。
私と自認弱者男性の間で大きく違うのは、自分の中の理想に他者が関与しているかどうかだと思います。
上半分の人達は外交的なので、評価軸に他者との比較が混入します。
他人を介在させない環境では満足感を得られないのです。
一方の法則型は自己中ですので、他人が関係しようがしまいが己の法律に即していれば満足を手に入れられます。
他者との比較で生まれるのは競争です。
つまり、敗者と勝者が存在するということ。
自認弱者男性というのは、まさに競争がある前提での価値観だなぁと思います。
もちろん私はステータス的には弱者男性ですゆえ、最下層を這いつくばって生きているわけですが。
感覚的には地下水脈の中にいる感じです。
地下水脈の中って、年間通じて温度変わらないし、餌も流れてくるし、意外と平和な環境なんですよね。
地上からは見えないし、地味な生活ではあるのだけど、ここにはここで穏やかな世界ですゆえ、
“陽”の目を見ないことが敗北であるとは思いません。
対して自認弱者男性も同じような階層にはいるわけですが、彼らは上の世界を見て生きていますので、
地上へ、空へ向かおうとします。
いやいや、ここは十分楽園じゃないかと私は思うのですが、
自認弱者男性は求めている世界が違うのです。
それが私と自認弱者男性の相違なのかなと思います。
セロトニン満足勢の私とオキシトシン欲しい勢の違いみたいな感じ。
などという妄想をしてみました。
今日は他人様とお会いしてお話をしていたのですが、

やはり他人様と話すと色々考えることがあって面白いです。
ひばかりさんは暇な人なので、会える人いたら呑みながらお話ししましょうね。
twitter:@gintarou_k








