もう4年前だろうか。私が大原扁理さんの名前を知ったのは。
当時は大学3年生の終わり頃で、周りは就活について考え始めていた。
その頃私は、人生について考えていた。
一生働いて、たまにある幸せを噛み締めながら死んでいくので幸せだろうか?それで良いのだろうか?
私には特に仲の良い友達はいなかった。というか、同級生の輪?みたいなものからは中学の頃から外れて生きてきた。
だから、就職して定年まで働いてという、同級生の輪の中の人達が辿るであろう同じルートに入れることに違和感を抱いていたのかもしれない。
とにかく、私の生活は他の同級生たちのそれと異なっていた。
主食は米でなくパスタだったし、エアコンは使っていなかったし、春は野草生活だったし、とにかく金のかからない生活をしていた。
そして、私の生活の経済水準を知っていた。これくらいの金があれば、最低限快適に暮らせるというラインのようなものである。
その水準が、世間一般のそれよりかなり低いことも分かっていた。
その上で、一般水準より生きていくのに金がかからないなら、一般水準ほど働かなくても良くない?
という考えにいたり、一時期は一生アルバイトでいいやなどと考えていた。
そんな時に目にしたのが、大原扁理さんのネットのインタビュー記事のようなものだったと思う。
同じような思想の人がいて、実際に問題なく生きているようだ。
じゃあ私でも一生アルバイトで大丈夫だろうと、何か安心した記憶がある。
それから4年経って、なんとなく大原扁理さんの本を読んでみた。
大原扁理さんの暮らしの様子や思想が連連とまとめられた内容だった。
本書の好きなところは、隠居を勧めていないところだ。
シンプルライフのススメ!、物を捨てれば幸せに!、FIRE最高!みたいな、やたらとその生活の効能を示して処方箋のように勝手に与えてくる類の文章をよく目にするのだが。
本書は、あくまでも大原扁理さんがやりたいようにやった結果隠居に行き着いただけで、人それぞれ思うようなライフスタイルで良いとしている。
働きたければ働けば良いのだ。
とにかく、心が広いというか脱力しているというか、読んでいて心地が良かった。
その余裕も、大原扁理さんが自分というものをしっかり持ってらっしゃるから生まれたものだろう。
大原さんが趣味としている散歩にも読書にも、自己分析のような時間が発生する気がする。
「人間は、自分以外のものを本当の拠り所としては生きていけないのだ」 by釈迦
現代人に足りないのって自己分析、自己内省、自分と向き合うことなんじゃないのかなって思う。
それがなぜできないのか?
輪の中から外れられないからですね。
ヒトは集団で生きている動物ですから、集団から外れることを恐れます。
しかし、集団内の他の人と同じような暮らしが本人の本当に望む暮らしで無かった場合、そこには我慢が生じます。
なんとなく新卒でそこそこの会社に就職して、週5日通勤をしている人。
そんな人に刺さる一冊でしょう。
でも、自己分析するだけじゃ自分のやりたいことって見つからないと思います。
大抵の高校生は、なんとなくで進路を決めます。いくら自己分析しても、自分の好きなことが分からないから。
人生経験や読書で培った思想や知識のベースの上で自己分析をして、適切な文章で出力できれば、そこに軸が見つかるはずです。
本書は「人生が苦手だった、青少年だった頃の自分に向けて、大人や世間が教えてくれなかったことを書く(あとがき)」という目的で書かれています。
結局著者が一番言いたかったことは何なのかなぁと考えると、
「興味のあることをいろいろやってみて、万が一結果がついてきてなくても、あのとき自分のしたいことができた、っていうだけで、今日も元気だごはんがウマい!
そう思えることが、ガチでわたしの財産。夢や目標がなくても、これでいいのだ~。」
ここのような気がします。
今やりたいことをやって、それが積み重なっていくだけってことですね。
青少年だったころの私へ。
ひとまず、今興味あるやりたいことをやってください。
あわよくば、45分週3日のランニングと読書と語学の勉強もやってください、ブログは早めに始めた方が良いです…、
今の私から言いたいことは色々ありますね。
twitter:@gintarou_k