友達との縁が切れました。
信頼していた人との縁が切れるという、あまり無い経験をしたので、これを機会に中身をまとめてみようと思います。
まず、その人と会ったのは大学時代。出会い系サイトを通じてです。
私はゲイなので、同類を探すにはそういったサイトを使うしかありません。
最初は純粋なセフレとして会い始め、話が合うということで徐々に普通の友達みたいになりました。
大学を卒業して離れても、中間地点でたまに会ったりして関係は続き。
就職でまた違う土地に移動してからも、月一の頻度で会っていました。
会った際には無料で散髪してくれて、パスタくれたり、米くれたり、親切な人でした。
彼との間に決定的な亀裂が生じたということはありません。喧嘩別れではないです。
ではなぜ切れたかというと、彼のカミングアウトが原因です。
「実は28歳じゃなくて36歳だから」
はい?
本当に?と聞き返しましたが、どうやら事実のようです。
「見た目28歳でもいけるのすごいな」
としか言えませんでした。
それに関してはサラッと流しましたし、その後も普通に会話したつもりですが。ぎこちなさは伝わっていたのでしょう。
それ以降、連絡はつきません。
彼が36歳だったことが嫌だったというより、そのことを2年間知らなかったということに気持ち悪さを感じました。
30代になったらさぁ、なんて話もしていたわけで。これまでの会話にも嘘があったわけです。
信頼がゆらぎました。
本来、その人のことを心から信頼していれば、年齢など笑い話で済むでしょう。
しかし、私は動揺しました。
それによって分かったのは、私は彼にそれだけの価値を与えていなかったということです。
正直ケチな私にとって、交通費や外食費を気にせずに払える人は彼くらいでした。
それでも受け入れるのに時間がかかったわけです。
元々他人に価値を与えるタイプではないですが、彼とは上手くいってると思ってたんですけど。
こんなことで縁が切れるんですね。
というか、こちらが切ったのではなく、あちらが切ったというのも不思議な話です。
これまで親切にしてくれていたので、自分と縁を切るための作り話ではないでしょう。
今考えると、おかしな所は去年にもありましたから。
自分が動揺した対応をしたので関係が終わったと判断したか、彼自身の罪悪感か。
その辺りが理由でしょう。
まぁ切れたものはしょうがないです。
彼から借りてる本はどうしようかなとか、散髪はこれからどうしようかなとか自分のことばかり考えています。
こういった他人に執着しない性格が、関係を長続きさせない原因の1つになっていそうです。
大学時代には、一緒に魚取りに行ったり、海外旅行に行ったり、会えば何時間も話し合えるような友達が二人いました。
しかし、彼らとも大学卒業以降は連絡をとっていません。
電話してみようかなと思うことはありますが、やっぱり良いやと落ち着きます。
これによって、連絡を取り合っている友達はいなくなりました。
今日も、出会い系を通じて一度会ったことのある人から「会いませんか?」という連絡が来ましたが、誰でも良いわけではありません。
気を使わずに、気楽に話をできる人が友達だと思っています。
上辺のフワフワした会話は苦手ですから、ある程度は気が合わないと無理ですね。
私は容姿や年齢などは気にしませんが、話を気楽に続けられるというこの1点だけが難しいのです。
職場の人と長々と話したり、家族と話すこともありませんので、現在の私はコミュニケーション難民に陥りかけている状況です。
会話をしないと頭は固くなり、ボケやすくなると思います。
高校時代は、友達が一人しかいないほぼボッチで。登校してから会話をせずに帰ってくるようなこともありました。
あの頃は、言葉を紡ぐことが下手になりました。声の出し方が分からなくなりました。私の言いたいこと、相手の言っていることが理解出来にくくなりました。
コミュ障というやつです。
これに陥ると怖いのが、頭が固くなってしまうことです。
会話を通じて新しい考えや、違った意見に触れられないので我が強くなってしまいます。
そうならないためには、他人を受け入れること・自分自身の考えを反省することが大事でしょう。
他人の迷惑になっていたり、傷つけていたり、社会悪になっていない限り、どんな変態でも存在していて良いのです。理解できることと受け入れられることは別です。
なんか物語とかで、森の奥深くに住んでいてたまに来る客人の話を聞くのを楽しみにしている老人とかがいたりするじゃないですか。
今はそういった老人になった気持ちです。
最後に、友達がいなくなってしまいましたので、話相手を募集しますw
福井県に来ることがあれば、よかったら寄ってください。
twitter:@gintarou_k