マシュマロにてご質問をいただきました。
顔の見えない他人ではなくお友達からということで、Youtubeのコメントなんかよりよほど深刻そうですが…。
他人から投げかけられるコメントは3つに分類されると思います。
- 善意のコメント
- 悪意のコメント
- 無関心のコメント
今回投げかけられた言葉に関しては、すべてに当てはまる可能性がありそう。
生きてるの楽しくなさそう→もっと今をエンジョイした方が良いよ!
という諭しであれば善意のコメント。
お金を持っていることに対する単なる妬みで、精神的ダメージを与えてやろうという魂胆が見え透いていれば、それば悪意のコメント。
他人のことなんでどうでも良いけど私はこう思いますという一人語りであれば、無関心のコメントです。
そのお友達との関係性が分からない以上、これらが悪意のコメントであると断定することはできませんので、
質問者様の方で、そのお友達の人間性といった背景を考慮して、どのコメントに属するのか考えてみて下さい。
善意っぽいなら関係継続、悪意なら断絶、無関心なら保留。
こんな感じの対応で良いのではないかと思います。
私なら、友達が得体のしれない思想のもとに動いていたら、内容と背景を確認しますね。
それで問題なさそうなら、好きにやればよろしいという感じで見守ると思います。
ただ、過去の愚かな私は、他人に対して同じような発言をしてしまったこともあります。
車好きな他人がいて、車のメンテナンスと駐車場代にバイト代を消化していたのですが。
それに対して、何が楽しいの?みたいな発言をしてしまったことがあります。
愚かだったと思います。視野が狭かったと思います。
他人の楽しみは他人にしか分からないということに気づいてなかったんですよね。
それからたくさんの変態的な思想に触れることによって、
理解できることと受け入れられることは違う。
理解できなくても受け入れることはできる。ということに気づくわけですが。
なかなかそれができない人も多いのかなという気はします。
私自身が誹謗中傷的なコメントをいただくことがあるかというと、ほぼありません。
なので、コメント関係で精神的ダメージを受けたことはなくて、
むしろ温かな言葉に助けられながら続けられているような感じなのですが。
仮に何かエグいコメントが来たとしましょう。
まずはそれが善意・悪意・無関心なのか考えます。
どうやら悪意っぽいです。
じゃあなんでそのトゲを私に向けているのか?その背景を考えてみます。
真相は分かりませんが、なんか社会生活の中で嫌なことがあったのかもしれない。というか単なる妬みだろ。
かわいそうだねぇ。
みたいな感じで、狂気性を持った凶器は、その背景を考えることによって、可哀想な一般市民のため息に変わります。
幸せな人は他人に誹謗中傷なんてしません。
誹謗中傷をするのは、地に足つけて歩いていない暇で不幸な民たちです。
なんなら本当にリアルが充実している人はSNSなんてやりません。
そんな哀れな民たちの声に耳を傾けてみるのも一興ではありますが(ヤバいコメントはブログのネタにしてます)、
真剣に考察するほどの価値は無いと思います。
もちろん、あまりにも批判の声が大きければ、内省してみる必要はありますが、
たいていは無視できるものです。
ヤバいコメントを無視できないのであれば、その背景を考えて無力化しましょう。
他人に迷惑をかけない限り、すべての多様性は許されます。
この世界にはあらゆる変態が存在していてOKなのです。
他人に何を言われようが、自分の中の軸に沿って生きていきたいものですね。
twitter:@gintarou_k